3つでじゅうぶんですよ!

暇なときは映画をみる。映画には夢があるから。

映画秘宝休刊で各人が寄せた『でもやるんだよ!』の本当の意味とは?

今回は、映画秘宝休刊に際し、編集長の岩田和明氏や、映画秘宝創刊者の町山智浩氏が寄せた一言『でもやるんだよ!』について、その意味を改めて考えます。

出典 

この言葉は、漫画家の根本敬氏の著書「因果鉄道の旅-根本敬の人間紀行-」(1993年)のしおさいの里というエピソードの中で登場します。

(併せて、スチャダラパーの5thアルバム5th wheel 2 the Coach』(1995年)の3曲目「ノーベルやんちゃDE賞」の歌詞を思い出した人には十点あげます)

因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行 (ワニの本)

因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行 (ワニの本)

  • 作者:根本 敬
  • 発売日: 1993/05/01
  • メディア: 単行本
 
 

また「因果鉄道の旅」の著者の根本氏と町山氏の関係は、過去の町山氏のブログに詳しく書いてありますので、ご興味のある方は是非、読んでみてください。

tomomachi.hatenadiary.org

しおさいの里とは?

かつて千葉県八日市場市にあった、全国の捨て犬や捨て猫たちを救済という名目で集めていた施設のことで、そこでは、本多忠祇(ほんだただまさ)という園長を筆頭に、ボランティアの人たちが犬たちの世話をしていました。で、どうやって犬たちが集まってきたかというと、自分たちで拾ってくる場合もあれば、全国から宅配便で犬が送られて来ることもあったようです。また、週に何度かキャンペーンと称して、犬をバスに乗せて新宿や渋谷などでカンパを募ったりもしていました。

しおさいの里のエピソード1

根本氏が取材のために、しおさいの里を訪れた際、たまたま本多園長が不在だったので、まず近くにいたボランティアのオヤジと話をするわけですが、ふと、そのオヤジが犬のエサ用のタライなんかを、洗剤を使ってゴシゴシと磨きはじめたのです。その時は12月で、とても寒いのに。

「いいか、俺はね、毎日1日に2回エサやるけど、エサが終わると全部いちいちこうやって洗ってるんだよ、ぴかぴかに。でもわざわざこんなの洗剤使ってゴシゴシ擦る必要ないんだよ。水でちゃちゃっちゃっとやりゃあ、それでいいんだよ。な、こんな事無駄な事だと思うだろう」

「え、いやまあ」

「そうだよ、無駄な事なんだよ」

で、次にドスの効いた大きな声で

「でもやるんだよ!」

(「因果鉄道の旅-根本敬の人間紀行」からの引用)

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因果鉄道の旅-根本敬の人間紀行-より

しおさいの里のエピソード2

その後、いよいよ根本氏は、本多園長と会って話を伺います。

「本多さんは、元々犬を飼うのがお好きだったんですか」

「いや、こうなるまで動物を飼った事がありませんでした。10年くらい前に捨てた犬を拾って来て、それから段々増えてって、3年前東京の家を売って、ここに越して来まして、今では500頭いますよ」

「そうなんですか、僕はてっきり、昔から犬を飼ってらっしゃるのかと思ってました」

「犬や猫が好きというより、私にはもっと壮大な夢があるんですよ。無限の大事業とでも云いましょうか」

「はあ、それはどんなモノなんでしょうか?」

「私はね、この『しおさいの里』をやる以前に、色々な職業に就いて来ましたが、どんな仕事に就いても、すぐ短期間で他の先輩を追い抜いて、頂点を極めてしまうんです。しかし、頂点を極めると、必ず周りの人間が寄ってたかって足を引っ張るワケです。それで次々に色々な職を転々としたんですが、とにかく何をやっても他人より仕事が出来るので、若い頃から自信は大いにありました。しかし30代に差し掛かった頃、壁に突き当たりました。その時、山岡荘八の『徳川家康』を読んで、大いに感銘を受け、その壁を超えましたよ。それで、それ以来、自分も家康の様に成ろう、そして無限の大事業を起こそう人の真似出来ない事をやろう、という気持ちがずっとあって、それで遂にこんな事に成ってしまったワケです」

「成程、では、これは無限の大事業なワケですね」

「皆さんだって、犬や猫が捨ててあれば、可哀想だなって思いますよね。でも2匹3匹ならとにかく、100匹、200匹、ましてや500匹となると飼えないでしょう。例え、どんなに犬好きでも、そういう事をやりたいと思っても、出来ませんよ、こんな事。……でも私はやっています。人の出来ない事をやっているんです」

(「因果鉄道の旅-根本敬の人間紀行」からの引用)

つまり『でもやるんだよ!』とは、無限の大事業に取り組む精神の表れだったのです。

今回の『でもやるんだよ!』の本当の意味

映画秘宝の記念すべき創刊号「エド・ウッドとサイテー映画の世界」(1995年)で、町山氏が書いたまえがきに、その答えが示されています。

映画誕生百年?どうせまたマリリン・モンローとかチャップリンだろ、ケッ。なーんてツバを吐いてたら、"映画史上最低の監督"『エド・ウッド』の日本上陸だ。こりゃめでたい。というわけで、エド・ウッドと、彼が一生を捧げた「エクスプロイテーション映画」についての本だ。だけど、「エクスプロイテーション」というと、どっかのバカがまたオシャレなモノとカン違いしそうなので、ここではあえて「サイテー映画」と読んでみた。何が最低かって、まず作り手の意識が最低。なにしろ、Exploitってのは、「頭の悪い奴から金を搾り取る」という意味だ。(ここでハードコア・パンク・バンド、エクプロイテッドのこと思い出した人には十点あげます)。

(中略)

批評家の採点表では星一つも取れずに「BOMB!(ヒドイ)」の烙印を押され、ヘッポコ(ターキー)映画、ゴミクズ(トラッシュ)映画と笑いものにされる。そんなインチキでくだらない「夢の島(ゴミため)」の中にも、ごくごくたまに、金のなさやアイデアやセンスの良さでカバーした傑作や、逆にメチャクチャすぎてスゴくなった怪作がある。それを発見した時の悦びに味をしめて、深夜のテレビやビデオ屋のレジ横で一本三百円で投げ売りされているのを漁るのだが、九割九分、時間の無駄だった。この本はそんな無駄の蓄積である。

(中略)

「牛のクソにも段々がある」。しかし、下の段ほどデカいことを忘れてはいけない。この本は欧米だけを扱ったが、アジア、アフリカ、南米……この百年間に世界で作られた映画の99.9パーセントは「サイテー映画」なのだ。「映画が好き」と言ってる奴らのほとんどが最上段の「イイ映画」だけしか見ていない。丘の上の名所しか見ない観光客と同じだ。眼下に広がる巨大なスラムを見てから言え!

(「映画秘宝/エド・ウッドとサイテー映画の世界」からの引用)

おわかりいただけただろうか?しおさいの里の「捨て犬」たちは、映画秘宝にとっての「サイテー映画」であり、今回の『でもやるんだよ!』が表す、映画秘宝にとっての無限の大事業とは、これまでもこれからも「サイテー映画」の救済なのです